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2009年 10月 04日
堕ちた偶像(続々)
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《マック》
高知市

日本での話。
もう十年以上前になるけれど、久しぶりに帰った東京で、ある日の午後、学生時代から僕の巣であった懐かしい新宿の雑踏を歩いていた。友人に電話をする約束があったので、ポケットから電子手帳を取り出してみると電池が切れかかっていて液晶の文字も読めなくなっている。どこかで電池を手に入れなければならない。ちょうど伊勢丹のそばにいたので僕はそのまま伊勢丹に入っていった。このデパートは昔と変わらず一歩ごとに人とぶつかりそうになるくらいに混んでいて、一瞬僕はここに来たことを後悔したがもう遅い。友人は僕の電話を待っているのである。どの階に行けばよいのか戸惑ったあと、とにかくすぐ上の時計・貴金属の売り場へ行ってみた。
制服姿の可愛い女の子が満面にこぼれるような笑みを浮かべて、深々と頭を下げ、丁寧に挨拶をしてくれた。(ローレックスを二,三個買いそうな客に見えたのかもしれない) 電池の事を聞いてみると、彼女は電子手帳を僕から受け取って裏蓋を開け、電池の種類を確認したあと、あいにくとその電池はX 階にある電子製品売り場にしか無いと言う。礼を言ってその場を離れかけた僕は内心 (やれやれ) と思っていた。うぞうむぞうの人を掻き分けてエレベーターまで辿り着き、順番を待ち、さらに階上まで人に揉まれて上がって行き、降りてから売り場を探してまたうろうろしなければならない。(やれやれ)である。その僕の気持ちを読んだように、
「お客様、その電池がX 階に揃えてあるかどうか問い合わせますので、少々お待ちいただけますか?」と店員の声が僕の背中を追って来た。振り返ると、彼女は電話で短く話をしたあと、
「はい、その電池は確かにございますが、よろしければ係りのものがこちらまでお届けしますので、そこに掛けてお待ちください」
一瞬、僕は自分の耳にしたその言葉が信じられず、次の瞬間、その天使のような彼女の細い身体を力いっぱい抱きしめて、そのおでこにキスをしたい衝動に駆られていた。

それに比べると・・・・
アメリカの商店は客が店員に懇願して物を売っていただく仕組みになっている。店員の数も少ないので客は辛抱強く自分の順番を待つことになるし、商品に関してあまり細かな質問は許されない。サービスの不手際などに不満を表現して、店員の機嫌を損ねるなどという事は絶対に避けるべきである。いっぽう客の方でもそういうシステムが一向に苦にならず、レジスターの前に列を作って代金を払わせて頂く順番をじっと待つ。そして自分の番になると、せっかく頂いたチャンスを逃すまいとばかりに店員と客のあいだに和気あいあいとした会話が始まる。商品の事から始まり話題は天候、家庭、政治、と発展してゆく。そのあいだその後ろには何人もの客が待っているのに。

ああ、アメリカ (ため息)


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# by september30 | 2009-10-04 00:34 | 過ぎて行くこと
2009年 10月 03日
堕ちた偶像(続)
堕ちた偶像(続)_f0198886_1032498.jpg
《ゲットー》
Dayton, Ohio USA


先日こんなことがあった。
現金が必要になったので、ある銀行の前に設置してあるATM (現金自動支払機) に行ったら、僕の前にいた中国人の老人が途方にくれた顔をして、現金を引き出そうとしたら金が出てこない上に、カードが機械に飲み込まれたまま返ってこない、と言う。銀行のドアには午後五時で閉店と書いてある。時計を見ると五時を数分過ぎていて、ガラス越しに見ると中にはまだ数人の銀行員の姿があった。ドアをノックして行員と話をしてみたら、と僕が言うと、その老人は何度もドアを叩いていたが、中にいる若い女性は音のするほうを見て、もう閉店したというしぐさをするだけでドアを開けようともしなかった。さらに叩き続ける老人に明らかに不機嫌な顔を見せて、その女性がようやくドアを開けてくれた。老人が中国語訛りの強い英語で事情を説明すると、彼女が面倒くさそうに言うには ATM は特定の人しか開くことができなくて、その人は明日の朝にならないと事務所に出てこない。だから明日の朝もう一度出直して来い、と言っている。困惑しきった面持ちの老人が、何とかならないか、自分は今夜どうしてもお金が必要なんだ、カードを返してもらえれば他のマシーンに行くから、と懇願するのを 「何度言えば分かるの? 銀行がもう閉まっているのは、見れば分かるでしょ」 と冷たく言いきってドアを閉めようとした。それを見ていた僕は閉まろうとするドアを押さえて、

「おい、お嬢さん、冗談じゃねえよ。さっきから黙って聞いてりゃあ、客のことを何だと思ってやがんだい? 機械が壊れているのはおめえさん方の責任じゃねえのかい。それなのに、すみませんの一言でも言ったかよ。この人が困ってるのが分かんねえのかい。病気の子供に薬を買わなくちゃならねえのか、ひもじい家族にハンバーガーを食わせるのか理由は知らねえが、このお方はとにかく金が必要なんだ。それも金を貸せとか呉れとか言ってるんじゃねえ、預けてある自分の金を引き出そうとしているだけじゃねえかよ。病気の子供に薬が買えなくて子供が死んだりしたら、おめえら銀行は何ミリオンと損害賠償するんだぜ。俺はこんな銀行明日にでも解約して他の銀行へ行くからな、そう思え。とにかくてめえみたいなチンピラじゃ話にならねえ。店長を呼べ、店長を!」

と、日本語なら寅さんみたいにまくし立てる所だけれど、残念ながら英語ではもう少し知的で穏やかな表現になってしまった。それでも僕の怒りは十分に相手に伝わったようで、その女性がしぶしぶ引っ込んだと思うと今度は課長だか店長だか知らないが中年の男性が出てきた。僕はその上役に同じことを説明した上に、さらに若い女性行員の感心できない態度や銀行としての不満足なカスタマー・サービスを報告すると、彼は 「よござんす、分かりやした旦那。 しばらくお待ちなすって」 と言って腰につけた何十と鍵の付いた鍵束から魔法のようにサッとひとつを取り出して ATM のマシーンを裏から開け、カードを取り出すとそれを老人に返してくれた。(もちろん返す前に老人の免許証を見て本人の確認をしてから) 
そしてさらに 「旦那、うちの若いもんにはくれぐれもよく言って聞かせますんで」 と言ったが、その上役からも 「すみません」 の一言はとうとう最後まで出てこなかった。

ああ、アメリカ (ため息)


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# by september30 | 2009-10-03 05:50 | 過ぎて行くこと
2009年 10月 01日
堕ちた偶像
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《メモリアル・デーのパレード》
Oakwood, Oh USA

以前に恋の報復という記事の中で、痘痕 (あばた) も笑窪 (えくぼ)、 というようなことを書いたことがある。そのときは男女間の恋愛関係を述べていたのだけれど、考えてみると別に男女間と限らなくても人間関係でもよくあることだし、複数の、たとえば国民性と呼ばれるようなことでも同じことが言えるんじゃないか、と最近思うようになった。

二十代の後半までを日本で暮らしながら、僕は周囲の人達とどうもうまく歯車がかみ合わないことに気がついていた。その理由は、なんでも直截的に、日本語特有の紆余曲折を省いて表現をする僕の言葉に、傷つけられたり気分を害したりする人が多かった。No と言いたいときに一応最初は Yes と言っておいて、それから徐々に No に変えてゆく、というような日本式のテクニックを僕は知らないわけではなかったのに、そういう面倒なことを演出する必要性をまったく認めていなかったようだ。言葉は心情の露出だと信じていた僕は、明らかに心にも無いことを平気で口にする人達を軽蔑した。しかも、相手から僕に向かって発せられた言葉のどこまでが本意で、どこからが儀礼なのかを、自分の中で何度も反芻して推測したり訂正しなければならないメンタルゲームに、僕は疲れきってしまった。
僕が尊敬していたある先輩が、
「お前さんはちょっと見にはハナからケタが外れているように見えながら、実は心底では決して一線を超えていない。そこがお前さんのいいところだ。親しいやつにはそれが分かるけど、普通の人から見れば礼儀知らずで傍若無人で鼻持ちならないとレッテルを貼られてしまうんだ。お前さんのようなのはきっとアメリカが性に合ってるよ」 とアメリカでの商社勤めが長かったその人が言ったことがあった。僕がアメリカに行くことを決心したのにはいろいろな理由があったけれど、その先輩の言葉がいつも自分の頭の中の引き出しにしまってあったのは確かだ。 

そしてアメリカ。
No がそのまま受け入れられる国。敬語の無い国。曖昧な言いまわしのできない言葉を持つ国。迷惑にさえならなければ、何を言っても何をしても気にされない国。感情がそのまま顔に表れる人たちの国。煩雑な慣習や制度の元になる古い伝統を持たない国。
そのアメリカに住むようになって、僕は心からホッとした。そしてアメリカ人の、単純と言っていいくらいのストレートさや陽気さを僕は愛した。ここではもう「礼儀知らずで傍若無人で鼻持ちならない」と思われる事もなかったし、人の口から出てくる言葉の裏を読む必要も無かった。
僕はアメリカで、水に放たれた魚のように生き生きとしていた。

それから何十年もアメリカに住み続けてきた僕に、いつごろから異変が起きたのだろう? そんなに古くはない。ここ数年来の事だと思う。アメリカ人の徹底した個人主義や深みのない即物的なものの見方にうんざりとさせられるようになってきたのは。それと同時に、時々帰る日本で経験する、周りの人たちのちょっとした思いやりとか細かい気配りなどに、(ああ、やっぱり日本はいいなあ)と思い始めるようになった。
結局のところ自分は日本人だったのか? 日本を棄てて、その棄てた日本へまた還って行くのに僕はこれだけの長い年月を必要としたのだろうか? (続く)



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# by september30 | 2009-10-01 23:07 | 過ぎて行くこと
2009年 02月 02日
「異邦人」オープニング
「異邦人」オープニング_f0198886_1145954.jpg
Paul Valery Museum, Sete, France


昨夜(1月31日)は、僕の個展のオープニングだった。120人もの人が来てくれて、一時は人が詰まりすぎて、ギャラリーを歩き抜けるのも困難な状態だった。いったいどのくらいの人が来てくれるのか、まったく予想がつかなかったので、食べ物や飲み物を最初の予定の2倍にしておいて本当に良かった。食べ物は和洋両方を用意していたが、和食では日本人のゲストが23人ぐらいだったのにかかわらず、特大の丸盆に5つ用意した握り寿司と巻き寿司以外に、100個作ったいなり寿司 (妻と僕とで作った) がきれいに無くなったということは、アメリカ人のゲストが食べた、ということだろう。
何よりも嬉しかったのは、知り合ったゲスト同士が、うらに流しているジャズが聞こえなくなるほど賑やかに話がはずんで、普通の展覧会のレセプションのようなよそ行きの雰囲気がなく、帰る頃にはみんなが友達になっていたことだった。僕は記録のためにとカメラを用意していたけれど、写真を撮る時間など、タダの1秒もなかった。

展覧会というものに慣れていない僕は、オープニングというのはパーティのようなもので、飲んだり食べたり話したりの社交の場で、ビジネスの場だとは思っていなかったから、混雑の中を義妹のジュリーがそばにきて、「売れてるわよ」と耳元にささやいたときに、へぇーと驚いていた。
あとで、ギャラリーのオーナーのS夫人の会計報告では、壁にかけた全紙大のフレームに入った作品が8点、写真集「異邦人」が8冊(売り切れ)、それ以外に5x7インチのプリントが16枚売れた、と聞いてまた僕はまた、へぇーというほかなかった。そういえば、本やプリントに何十回とサインをさせられて、摂取したアルコールの量に比例して、サインがすこしずつ崩れて行き、最後の頃にはロックスタ-のサインみたいにアブストラクトになっていた。
S夫人によれば、僕のオープニングは大成功だったそうである。

みなさん ありがとう


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# by september30 | 2009-02-02 05:49 | 過ぎて行くこと